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ももせ誕生エピソード

譜面台の楽譜

 平成11(1999)年、富田林高校100周年記念行事に際して、当時の音楽担当冨賀 菅子先生から同窓会会長白土さんへ、どんな記念事業をしたらいいかと相談がありました。

 会長は「コーラスをやれば?」と、OBの声楽家・中納 俊夫先生に話を進めました。

 白土さん・中納先生は東京まで出て、1期生OBであり日本有数の作曲家・宮川 泰先生にご来場を要請しました。

 集まった人々の中から家島 健先生が指揮者に、冨賀先生の声がけで京極 輝子先生がピアニストに、吉田 惣さんが初代団長に就任。

 卒業生・生徒さん・PTAの皆様・先生方の入団で構成しています。

 平成13(2001)年10月10日 中之島の大阪国際会議場(グランキューブ大阪)での100周年記念式典に参加出演したコーラスで家島先生は、宮川先生とともに合唱の指揮をとられました。

 

 式典後、宮川先生から合唱団を続けてはどうかとおすすめがあり、賛否投票の結果、同意した人々で団を結成。「百歳(ももとせ)」の古語から中納先生が「ももせ」の名を提案しました。

 毎年「富田林市コーラスフェスティバル」に出場するなど、地道に富田林高校の旧講堂で歌い継いでレパートリーを増やしてきました。

 平成19(2007)年10月26日に、「リック羽曳野」で第1回演奏会を開催。中納先生のテノールソロ、京極先生と岡林先生のピアノ連弾、宮川メロディの合唱曲など多彩なプログラムとなりました。

 以後、ももせは2年おきに演奏会を行い、合唱組曲・ソリスト演奏・宮川音楽という独自の演奏パターンを形作ってきました。

 平成28(2016)年4月、指揮者家島先生がご逝去。家島先生は京極 輝子先生に後を委ねて旅立たれ、以後ももせは京極先生のタクトのもとで歌声を響かせ続けています。平成29(2017)年11月、「第6回 家島先生追悼演奏会」、令和元(2019)年11月、「第7回 20周年記念演奏会」を開催しました。

 しかしその後、コロナウィルスの猛威に再三、緊急事態宣言で練習中断を強いられてきましたが、団員は家での個人練習などに励み、令和3(2021)年11月には「第8回 演奏会」を無事に開催することができました。

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